介護する側される側の気持ち

介護する側される側の気持ち

 

20代/いっちー

 

私は今27歳で、88歳の祖母の介護をしています。祖母は一昨年の夏、農作業中に倒れ打ったばしょが悪く足が動かず、車イス生活になりました。母とは以前から仲が悪く、介護はほぼ私任せです。昔からおばあちゃん子だった私は少しでも祖母の力になれたらと、毎食の献立を自分で考えたり、仕事が休みの日は近くの公園へ連れて行ったりしていました。

 

祖母も私の気持ちを知ってか知らずか暗い顔の日はありませんでした。しかし一年が過ぎた頃、咳が止まらず肺炎になった祖母は体調がすぐれないこともあってか周りに当たるようになりました。家の近くには公民館があり、以前はよく話していた近所のおばあちゃんたちの笑い声が聞こえてきます。

 

祖母はこれまでに見たことないくらい悲しい顔をしていました。励まそうと好物のあずき饅頭を買って帰ると「食わん!」とはねかえされました。夜になると何度も私を呼び「扇風機が強すぎる」「枕が低すぎて寝れん」などと自分でしていたこともしなくなり、文句ばかり言うようになりました。仕事をしている私も気持ちに余裕がなくなってきていました。母とは仲が悪いので介護を頼んだところでどうなるかは目に見えています。

 

祖母の夜中の呼び出しについに私は「いつまで生きとるつもり!」と言ってしまいました。言いすぎたとは思いましたが、祖母が私を呼ぶ声がノイローゼのように仕事中も耳に残り、とても辛かったです。友達に相談もしていましたが、解決策などありません。

 

それから祖母とはあまり話さなくなり、3日ほど夜中呼ぶこともなくなりました。4日目に夜中祖母が呼びました。部屋に行くと「迷惑かけるね」と一言いいました。その瞬間、私は涙が止まりませんでした。介護に追われ余裕がない私、自分で動きたくても人の手をかりなければならない祖母。余裕がないこと、

 

お金がいること大変なことばかりですが、当たり前のことを言うこと「ありがとう」や「元気でよかった」など言われて嬉しいことをその日々の中で1回でも言うことが介護をする励みになり、介護される側の生きている意味になるのではと思いました。