本当は母を介護する父を、いたわる事が父への介護だと娘の私は思うのです。
60代 千鳥ちゃん
私を生んで下さった母の介護についてです。
芸能人の人でも、仕事を辞めて家庭の中に入り介護をされたいることを聞くと、当然の事とは思いながらも頭が下がります。
私の母の介護は、主に連れ添う父がお世話はしていたのです。
今両親をなくして思う事は、父に老老介護の無理をさせないでおいたらよかったと思います。
父がまだ元気でいるから、母への介護も主に同居している父に任せていたのです。
母は75歳過ぎてから、認知症となったのです。
表現力も豊かな母で、動きも身軽にする母でしたが60歳を過ぎた頃から喘息と関節リュウマチとを患いました。
認知症の症状も、話す事をだんたんとしないでお喋りのない生活となったのです。
その様な認知症となるにも、リュウマチのせいもあり「足にたこ」が出来たことも原因があると思うのです。
たこさえなければ、リュウマチでなければ歩く生活も身軽にできて、脳に刺激があり認知症の進み具合もはやくなかったと思います。
その様になりましても母は、父に支えられて車に乗り込み毎日ドライブをしていたのです。
目で見る事はよくしていた母なので、車の助手席に乗り景色を見る事はできていました。
そんな母の支えをしていた父ですが、夜昼24時間母の面倒を見る生活しておりました。
夫婦仲もよく、元気な父に任せた母の介護となりました。
本当は元気な父への手助けをする、娘の私が父への介護をすることで父に無理がいかなかったと今になり後悔するのです。
母を介護する父に無理をさせないで、娘の私が父がする介護のお手伝いをすることが、私の必要な父への介護と思うのです。
両親と違う家に住んでいた私ですが、たまに3人で夕食をとる際にも、父は数年間の介護疲れもあったと感じるのです。
父は「お母さんは何も喋らなくなってしまって」と、困ってしまい今後もこの様な生活が続くと感じていた父だと思います。
母の介護は、連れ添う自分がすると強く決心していたと思います。
元気な父でも母への介護は、大変だったと思います。
もっと娘の私が、介護疲れにならない父にしてあげたらと反省します。
認知症を10年患う母よりも、疲れたのか先に亡くなってしまった父です。
お葬式の時にも、母は「爺ちゃん、死んだの?」と言うのです。
お喋りしない母が、認知症があるのに父のお葬式の様子がわかったのです。
この事には驚いた娘の私ですが、仲がよかった夫婦の様子を表す言葉となりました。