義母を自宅で介護した経験

義母を自宅で介護した経験
50代 コスちゃん

 

「義理の母の介護について」
もう、20年前になりますが、当時同居していた義母を介護しました。一人ではなく、夫の姉弟とでした。義母は、はじめは転んだことで腰を痛めての入院でしたが、その後子宮にがんが見つかりその介護が始まりました。入退院を繰り消し、最後「一週間の命です」と言われ、義母の希望で自宅介護となりました。
私と夫の姉弟とで、24時間体制での介護が始まり、夫の弟の奥さんが訪問看護しでもあったため、通ってもらい、一週間の命だと言われたのに、一か月生き延びました。
本人はもちろん大変でしょうが、周りの家族はもっと大変でした。
私も子供が小さかったため自宅に夫の弟夫婦が泊まり込み、交代で面倒見ました。メインは夫の姉でした。
義母は、下の世話は、尿はカテーテルでしたが、便は元々人工肛門だったので、人工肛門の袋(ストーマ)の交換で、今は解りませんが、20年前は、使いまわしでした。
ストーマの交換はトイレに水道をつけて、交換後、便を流しトイレの水道でストーマの中を洗い後、消毒液の中に付け込みすすいだストーマを天日干しする。の繰り返しでした。
今、思えば良くやっていたなとおもいます。幸い人工肛門だったおかげで便の処理は楽でした。

 

夜中は、「痛い痛い」という義母の体をさする事と自分の眠気との闘いでした。
これも、交代制でやっていました。
そして、時々、義母が夫や義姉を部屋へ呼び何やらこそこそしてたことは気分が悪かったです。
そんなことの繰り返しで、一か月後義母が亡くなり、介護は終わりました。

 

 

つらかったのは、姑の体をさすっても、痛がられ「さわらないで」と言われたこと。
義姉に、「病気が言わせてるから気にしなくていい」と言われましたが、辛かったです。
食事を作っても、あまり食べてくれなかったこと。ただ・・・焼き魚は褒めてくれました。
私の義姉である実の娘には、心の内を語っていたようですが、嫁の立場は文句だけ言われたこと。
一番つらかったのは
義母が自宅へ帰る前の晩、義姉兄弟と私たち夫婦で、どう介護するか話し合いがあり、結論が出て24時間体制で介護をすることになりましたが、その晩私は義姉から
「本当なら、長男の嫁が介護をするのが当たり前なの。でも、姉弟がみんなここへ通ってくれるから、あなたからみなに三つ指ついて頭を下げなさい。」と言われ、
玄関で「よろしくお願いします。」と
泣きながら頭を下げたことです。これは今でも涙が出ます。思い出すたび義姉に怒りが出ます。

 

 

あれから、20年経ちましたが未だに誰からも夫からも労いの言葉はありません。

 

夫も含め、義兄弟の介護は二度とする気はありません。
でも、姑を介護し、見送れたことはやって良かったです。

 

以上です。